大分市の歴史と文化 本文へジャンプ

大分の史跡探訪 > 高瀬石仏
◆高瀬石仏
(たかせせきぶつ)


▲石仏全景、石窟の中に5体の石仏が彫られる


所在地:大分市高瀬
(Googleマップを表示)

駐車場:あり(60mほど離れた場所)
アクセス:大分バス「三愛メディカルセンター前」バス停下車、徒歩20分
大分自動車道大分光吉インターから車で10分
JR大分駅から車で25分
高瀬石仏は、大分市南部の稙田(わさだ)地区につくられた石仏で、平安時代後期ごろの作と推定されます。
霊山(りょうぜん)山麓の凝灰岩室の崖を彫り込んだ石窟の中に5体の石仏が彫られており、この形式の石仏は全国的にも希少なものです。石窟内に彫られているためか石仏の状態は良く、現在も当時の美しい色彩が残っています。
彫られている5体の石仏は大日如来を中心に、馬頭観音、如意輪観音、大威徳明王、深沙大将であり(各像の解説は後述)、主に右側の像は信仰の象徴を、左側の像は仏法を守る象徴を表したものと考えられます。とくに左端の深沙大将(じんじゃだいしょう)はドクロの首飾りや虎皮の袴に、ヘビが絡みつき、さらに腹部に女性の顔が描かれるという特異な姿となっています。なお、石仏の右手の崖にはいくつかの小さな窪みがあり、そのうち1つには一本の蓮の茎から分かれる3つの蓮台の上に阿弥陀三尊仏が坐する姿が彫られています。
1924年に国指定史跡となり、周辺が整備されました。

石仏全体(深沙大将が写ってないですが...)


写真手前から、大威徳明王、胎蔵界大日如来、如意輪観音、馬頭観音。写真に写っていませんが、大威徳明王の手前に深沙大将があります。


仏像配置
(正面からの図、現地案内看板より)

右手から、馬頭観音、如意輪観音、胎蔵界大日如来、大威徳明王、深沙大将。





胎蔵界大日如来
(たいぞうかいだいにちにょらい)


高瀬石仏の中心となる一尊。大日如来は、この石仏がつくられた平安時代に民衆に浸透した密教において最高位の仏として位置づけられ、ここでもその考えに基づくものと思われます。ちなみにこの大日如来だけ丸彫りのような形になっています(他は少し浮いたような状態)。




如意輪観音
(にょいりんかんのん)


観音菩薩の化身の一つで、右足を左膝に乗せ、右手を頬に当てるポーズをとる半跏思惟像です。この如意輪観音像も平安時代以降に各地で多数作られ、全国的に女性がモデルとなったとされるものが多いことから、ひょっとしたらこの如意輪観音像も女性を表しているのかもしれません。



馬頭観音
(ばとうかんのん)


その名の通り、頭上に白馬の頭を載せた(写真では少々分かりづらいですが)観音菩薩の化身の1つです。観音としては珍しく怒りの表情をしており、人間の煩悩などを排除することを表します。馬頭観音像は、国内の流通が活発化し馬などが移動や運搬手段として多く使われ始めた室町時代以降に動物供養のために作られることが多かったので、この像はその初期の作品と言えます。




大威徳明王
(だいいとくみょうおう)


密教特有の格である明王(五大明王)の1つで、六面六臂六脚、つまり顔と腕と脚がそれぞれ6つずつあるという変わった姿の仏です。6つの顔は六道界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)をくまなく見渡すこと、6本の腕は仏法を守ること、6本の脚は六波羅蜜(布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を歩むことを表します。この大威徳明王の石仏は全国的にも数少ないものと思われます。


深沙大将(じんじょうたいしょう)


唐の時代に活躍した中国の僧、玄奘(三蔵法師)がインドを訪問した際に、砂の中から現れ、玄奘を守護したとされる仏教の守護神の一人です。どんぐりのような目とつり上がった眉で怒りの表情を表し、首には9個のどくろの首飾りを身につけ、さらに左手で身体に巻き付いたヘビを握り、腹には女性の顔が描かれるという特異な姿をしています。腹部の女性の顔は、この大将が優しい心の持ち主であることを表していると見られます。深沙大将の像は国内では珍しいものです。




石仏そばの三尊仏

石仏の右側の崖にはいくつか小さな窪みがあり、うち1つには、一本の蓮の根から分かれる3つの蓮台の上に阿弥陀三尊仏が坐する姿が彫られています。このような像は7世紀頃に多く作られましたが、この地では平安後期まで作られたことが分かります。



 ↑このページの先頭へ